遡る事、約1年前。
私が彼の異変に気付いた時には、もう遅すぎたのかもしれない…
私と彼との付き合いは今から数年前、恵比寿に門を構える、とある飲食店での出会いから始まった。私はその店舗で社員として働き、彼はアルバイトスタッフとして採用され、まだ20歳を少し過ぎた歳ではあるが、血気盛んな持ち前の破天荒な性格を活かしメキメキと存在感を示し一目置かれる存在ではあったと記憶している。非常に人懐っこい性分ではあるので、私の心はすぐに彼を受け入れて、多くの時間を費やす事なくその頃から先輩後輩という枠を超え自然と友人関係が芽生えていった。公私共に付き合いが増え、いつしかサーフィンや音楽という趣味もシェアするようになり、常に目の前にいつもいる存在となった。そんな毎日のように同じ時間を共有する時期があった事が今では懐かしく感じる。
彼とすれ違いが生じた始まりは、約2年半前に私が先に離職し同じ職場ではなくなった時から少しづつ距離が出始めたとは思う。別々の環境となり少し距離は出来たが、連絡は日頃から頻繁に取ってはいたのと、お互い近所に住んでいた事もあり、私としては特に気になる事もなく日々を過ごしてはいた。しかし今となってはその距離の取り方が彼の現状を生み出してしまったかと思い、私自身も後悔と反省に駆られる日々を送っている。何が彼の心を奪い犯罪への道へと導いてしまったのだろうか。
冒頭でも述べたように私が彼の異変に気付いた時は既に遅かったのかも知れない。その異変に気付いたのは、彼が逮捕される直前の2019年の1月末〜2月頭だったと思う。いつも通りの食事の誘いだったか、仕事の相談だったか、定かではないが、何かしらのきっかけがあり近所の焼肉屋で食事をする事になった。お互い好きなメニューを選び注文をする。何故だろう…少し違和感を感じる。「どうしたぁ?」何気なくかけた言葉の返答は「いやー、ちょっと色々とあって、」そんな感じだったとは思う。その一言に対して異変を感じた私は、直感で犯罪に手を染めているんじゃないかな。と思った。濁しながら伝えてくるその仕草が重い。少しながらの時が過ぎ、彼は「すみません、限界かも知れません」、「分かった、どんな感じ?」、「病みました」「早めに俺の会社おいでよ」こんな会話のやり取りだった。この時点では詳細は掴めてはいなかったが、彼を闇の世界から引き戻したいと素直に思った。
「実は俺…」
事実をオブラートに包みながらも語ってきた彼ではあるが、はっきりと感じるほどの危機感を覚えた。「あー、こいつヤバイな。」
私が感じた思いは間違いではなかった。それから数日後、彼と何かしらの約束をしていた日ではあったが急に連絡が途絶えた…
「逮捕によりJの運命が大きく変わった」
逮捕。この事実が彼にとって悪い日だったのか良い日だったのかは、これから先の将来、彼の示す行動が答えとなるだろう。私がその事実を知ったのはマスメディアの報道。それから数ヶ月は、もしかしたら拘束されている可能性がある警察署に連絡をしても、「この警察署には該当する者はいません」の一辺倒だ。何も手掛かりも掴めない状況ではあったが、唯一、繋がりのあるJの同級生に連絡をした。「ねぇー、何か知ってる?」「はい?何の事ですか?」「J、逮捕されたよ」「え!?」「知らないんだ?じゃあJの親の連絡先は分かる?」「そうなんですか。調べて折り返します」こんな感じだ。それから程なくして、Jの親御さんの連絡先が分かったのですぐに連絡をした。
「以前より息子さんと仲良くさせて頂いていた、Yです。」「…」「この度の件は親御さんにとっては大変辛い事とは思いますが、今後の彼の事を真剣に考えておりますので、分かる範囲での状況を教えてください」。親御さんは常々、私との関係を本人より聞かされていたようなので迷惑というよりは、連絡が来た事が信じられないといった反応だった。「報道を見て知りました。どんな感じですか?」親という立場ですら、詳細はよく分からず接見も出来ないようだ。犯罪の内容によっては暫く接見禁止が解けない事も多々あるようで、担当の弁護士さんからの情報のみで彼の状況を汲み取るしかない。親御さんに紹介して頂き、直接弁護士さんと連絡を取る事を許されたが、彼の健康状態や精神状態、今後の見通し、全ての確認を弁護士さんから伝えてもらえる情報のみで察するしかなく、何とも言えないもどかしい想いを感じる日々とはなった。厳しい留置生活において心が折れないようメッセージを送る事しかできないが、接見禁止が解ける日が来る事を信じ、ただ待ち続けた。
約9ヶ月後、弁護士さんからの突然、「東京拘置所に移り、もう少しで接見禁止が解けます」との連絡入る。2019年11月13日接見禁止が解けた初日。早速、足を運び久々の再会。映画やドラマなどで見ていた光景ではあったが、さすがに自分の人生において起こり得るとは考えていなかったので、初めてのガラス越しの面会に多少の緊張を覚えた。坊主頭になり、頬はこけ、肌は荒れ、げっそり痩せた姿はまさに犯罪をし精神が罪悪感と後悔に支配された「罪人」まさにそのものだ。長く厳しかった留置生活に比べれば、拘置所の独居房での生活はだいぶ良い環境ではあるようだが、これから裁判を控え刑罰も決まっていない未決人の立場ではあるので、何とも言えない精神状況なようなので、9ヶ月前の私の記憶していたJとは違って見えた。とはいえ、ガラス越しの20分間ではあるが姿を確認しコミュニケーションを取れた事で止まっていた時間は動き出し、私としては少し安心出来たのは確かだ。こちらの都合の良い時に足を運ぶ事が出来るようなら「1日1回20分」は会う事が出来るようになったのは、全く会う事も許されなかった日々に比べれば大きな違いだ。罪を犯し勾留している人間に対しては充分な待遇にも感じた。それからは月に数回は足を運ぶようになり一度の面会20分という短い時間の中で彼自身から提案のあった「獄中記ブログ」の打ち合わせやイメージの共有。その後、2020年になったタイミングでブログを開設し、今に至る。
彼が東京拘置所に移ってからの数ヶ月の中でも、私の中で特に大きな経験と疑問を覚えた事があるので、このブログ上で後日になりますが、あと二点ほど伝えさせて頂きたく思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。