Jに関しての裁判がいつから始まっていたのかは私には定かでないが、担当の弁護士さんより「いよいよ大詰めを迎えており、検事より求刑を伝えられ、判決が下りる一歩手前の裁判が1月9日にあります。Yさんにお願いがあるのですが、そこにご友人として出廷して頂き証言台で少しお話して頂けませんか?」との打診が届いた。私が出廷する事によるメリットとしては、社会復帰する際に協力的な人間がいる事が裁判官への印象として良い方向に働き、刑期を少しでも短くする事が出来る可能性がある…とのようだ。正直、悪い事をした人間に対して刑期を少しでも短くする。という事への手助けをするのか、、と何とも言えない感情を抱いてしまうが、日本の裁判の特徴として検事が罪の大きさに見合ってもない求刑をしてくる事が多々あるので、それに対しての対策と理解し引き受ける事にした。
1月9日。裁判所は東京地方裁判所。
先日のガラス越しの面会の際も述べたように、裁判所に関しても映画やドラマで見ていて馴染みのある光景ではあったが、実際の法廷は緊張感があり殺伐とした空気感が漂い、この手の刑事事件の裁判を1日に何回か繰り返す事情もあり、規律に守られ1分の時間も無駄には出来ないような場所という事は分かった。定刻を迎え手錠に繋がれたJ、共犯の疑いがある他2名も位置につき程なくして裁判長が現れ出廷し開始。裁判の流れは弁護士の弁護答弁、検事の求刑に対しての答弁に入る前に、被疑者の親族、友人の証言からではあったので3人の被疑者の中でも1番格上の存在としての位置づけをされていたJの件から始まった。傍聴席ならともかく、まさか自分自身が証言台に立つなんて夢にも思った事はなかったが、早速、1番手で私が証言台へ。
「宣誓 良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。」
証言台に登ると必ずこの宣誓をしなければいけない。証言台にはこの内容を大きな字で示した紙があり漢字にはふりがなが振られた状態で置いてある。私はJより一回り以上、歳が離れている事もありビジネス面などの経験からそれなりに人前で話しをする機会を積んできてはいたつもりだが、さすがに裁判官を目の前にした証言台の雰囲気には平常心ではいれず、緊張というよりも裁判官に心の中を全て見透かされているような気分と、被害者の悲痛な感情を背負い厳しい求刑を迫ってくる検事の重圧を感じた。弁護士との事前の打ち合わせ通りの話は出来たと思うが、思っていたよりスムーズに口が回らない答弁となってしまった気がする。物の数分で答弁は終了したが、やはり証言台の上は決して心地の良い場所ではなく二度と登りたくない場所だった。これが私がJの拘置生活の傍で経験させてもらった印象的な出来事の一つではある。裁判員裁判や傷害事件などに関しては違ったものにはなると思うが、詐欺事件の裁判は被害者の感情が1ミリも感じられる事はなく、ただ淡々と裁判官、検事、弁護士のやり取りがあり時間が過ぎて行く。そんな内容だ。私の証言後に関しては他の被疑者の家族の方々が涙ながらに証言台で語る場面などはありはしたが、特に心を打たれる事はない答弁が続いた。その後の裁判の内容は酷いもので、他2名の被疑者の弁護士がJを格上に置き、1番の悪い奴はJだと言わんばかりの答弁を繰り返し、少しでも自分の担当の被疑者の刑が軽くなるようにする為のなすりつけ合いとなった。あまりにも醜く思い出すのも酷な内容ではあったが、結果としては後日彼には懲役7年の刑罰が下った。(ちなみに検察の求刑は10年だった)
後から聞いた話だが、他の2人はやはりJより短い懲役となったようだ。初めての刑事事件の裁判に出た事により、判決に対して憤りなのか違和感なのか定かではないが、もどかしい感情を覚えたので、その点についても後日書きとめておきたい。続く…